えすぷれっそ

2017/01/11 23:41
タイトルは特に意味はないです。
今思いついただけです。
元々の存在意義を思い出すということで
かなり御座沙汰ですが最近のレモンさん。

おねむです。
なんでこんなプチ鬱になるんだろうなぁ
ものっすごい嫌とかいうわけではないんですけどなんかちょっと鬱っとなるんですよね
原因考えてはみたんですがよくわからないというか、色々思いつきはするんですけど文字にしたら色々跳ね返ってくる気がして。
まあけど私もロボットじゃないんで
こればかりは気持ちの問題なんでしょうね。
なんとなく窮屈になっちゃうんですよね。
向こうが全部悪いとは思いませんけど、
でもやっぱり長時間一緒にいるのがすこし鬱という程度には窮屈な気分になるかもしれない
一部だけ書きますが、
そんな人に話すほどすごいことは経験してきてないですけど、
人並みに色々ごちゃごちゃあったもので
例えばこの話題はこの人たちとはしたくないというものが私の中にはいくつかあって。
そういう時は露骨に嫌そうな返事にはしてるんですけど案の定まっっっったく察してくれないので余計アレなのかも。
ハッキリ言えよって話なんですが明らかに言い合いになるのがわかる上、向こうがなんて言ってくるかまで具体的に想像つくのでできればしたくないんですよね、不毛だし
あとまあ某さんというか妹のように
全部右から左に流せてかつ人のこと気にしない能力かあればいいんですけど、
それがないので、彼らといるとあれしたらなんか言われるんじゃないかとか、これしたら苦情が来そうだとか気にしすぎて行動がかなり制約されるんですよね。
なんか一回やると引き合いに出されてあとでまた別の事言われる材料になっちゃうなと思うと弱みは作れないというか、いやなんで生まれた時から一緒の人たちにそんな考え方しないといけないんだとそれは私も思うんですけどね…でも実際そうなるので仕方ないです
私は別に不遜な子供になりたいわけでもなく、感謝の念が全くないわけでもなくというか親の義務を果たしてくれたことには大変感謝しているのでそこはお間違えなきようといった感じなのですが拗れてしまってるものはもう多分どうにもならなくて、そういう部分があるのも確かなんですよね
むこうもむこうで「親」カード使いがちなので余計それについて考える機会が増える。
個人と親の比率は年によっても変わるとは思うんですけど、それをどのタイミングでどう判断したらいいのかよくわからないんですよね。
そもそも別に親に反抗するために意見を違えているわけじゃなくても結構私と両親は自然に別のベクトルを向いてることが多いので、
もとより方向性が一致してて迷うことなく色々なことが出来る人はいいなと思いますがそれにはなりえない場面がたくさんあります。
例えば成人式ですよ。私は振袖着たくなかったんですよね。親は着せたかったんですよね。どうするって話ですよね。騙しうちでつれてって最後には親のためにやろうと思わないの!?って言うわけですよね、私も慣習を断るというくらいで、つまりそれなりに嫌だったんですけど結局まあ親のための行事と言われればそうなのかなぁと思って一応折衷案ってことで写真はとったんですけども。
それがじゃあ例えば結婚式だったらどうなのとか、そんな大きくなくても逐一親のためにっていわれたらえーもうどうするのってその度疑問の渦に飲み込まれるのでそのカードは好きじゃないんです。そもそもそんなの答えがなくて人により環境により答えが違って正答が無いし。
例えばそもそも全く鬱にもならないような相性バツグンの人たちに親不孝とか非難されても逆に環境違いすぎてあんまりピンとこないし、うーん今日は色々なところに飛びすぎて文章がうまくまとまらないというか収拾つかないな、これ。どうしよう。頭に戻すか。
えーと、まあプチ鬱とかはさておき私が純粋に謎なのがですね、我が家私と親を抜きにして親同士でも行動パターンがかなり違うので旅行とか行くと最低1回は空気悪くなるんですよ
しかも言いだしっぺもそんな子煩悩ではない。なのになぜそこまで旅行に行きたがるのか?
ということです。不思議です本当に
そもそも大学生の子供の家族連れって旅行先とかであんま見ない気がするんですがどうなんでしょうかね?一応調べてみたんですけど、相性があまりなので行きたくないという人が出てこなくてあんまり参考にはならなかったです
うちはそんな感じで普段から決して仲睦まじい感じではないのに、1方でわりと子供はプロパティというか、所有物って感覚が時々垣間見得るのでちょっと怖いです。というのも、こういうのって一歩間違えたら将来地獄絵図になりかねないんですよね。もちろん仲いいに越したことないですけど、そういう考えだと親はいつまでも自分たちにどっぷり浸からせておこうとするので子供もいつまでも自立できない(しようとしなくなる)わけです。当たり前ですけど親は子供が死ぬまで面倒見てくれる訳では無いし、結局自立の機会がなくなって最後子供は一人で苦しまないといけなくなるわけで。これはよく友達親子とかで言われているやつですね。
余談ですが忙しく仕事してやっとの休みに家族を連れて外に出かける。これ俗に言う家族サービスってやつですね。これを地でバリバリやってのけて褒められがちなんですがそれは違うと私は思います。
家族三人寒すぎて嫌がってても連れ出しますからね。あれはむしろやりたいことやってるだけで、家族サービスしたくない人が家でゴロゴロしてるのとなんら変わりない、って私は思います。彼のベクトルが世間の大衆のベクトルと合っているだけで好意的にとってもらえるのは本当に幸運ですがよく考えるといや違うよ!と思います。勿論彼の意思も尊重すべきなのでこちらも付き合うべきではあって実際身を震わせながら必死に出かけてそれなりに楽しみましたが、ただ事実としてここは違うということだけ言っておきたかった。
さんざん言いましたが別に嫌な思いばかりしているわけではなくて、あくまでプチ鬱になるだけです。そしたら色々思い出したりしてこうなりました。
あっさらに関係ないんですが、たまにうちの子の選んだ人(道)だから大丈夫ってやつありますよね、小説とかでちょいちょい見ますね。あの台詞が言える人って本当に、心の底から、(もちろん言われる側の人も)すごい、と思います。その信頼感が。私と両親には多分一生縁がないです。最近気づいたんですけど私はそれがずっと悲しいんですよね。昔から信頼を裏切るようなことはしてこなかった、少なくともしっかりしようとやってきたのに、それってなにも私と彼らの関係に影響及ぼしてないんですよ。何もしてない人と扱い変わらないんですもの。扱い変わらないこと自体の不公平感を差し引いても、その違いのなさを見ると、より私が何も積み上げられなかったこととか、やってきたこと大してなんの意味もなかったこととかまざまざ突きつけられている気がしてつらいんですね。結局何やってもいつになっても信用ゼロなんだな~って。親にとって子供はいつまでも子供。よく言ったもので、それはもちろんその通りなんですがそれはいつまでも判断力がなくて意思がなくて正解を知ってる自分たちが言い聞かせなければいけない、そういう意味の「子供」ではきっとないですよね。
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あなたにぴったりの名言がありますよ!

人からの信頼は結果の集積により得られるわけですが、人生を左右する選択において、あなた自身で選択したのはまだ一度目です。

あなたが選んだことなら大丈夫!と言われるにはそれなりの結果をそれなりの回数続けなければならないです。まだ自分自身でした1回目の選択の結果は親からすると見えていないです。

人生を左右する選択だけが全ての信頼ではないです。例えば料理への信頼、運動への信頼、、〜なら上手くやれるという信頼の仕組みは上記の信頼の仕組みと変わりがない事からもそのように言えます。

自分自身で選択をしなさすぎたためにその点において信頼が無いだけで、良い結果を繰り返すことにより評価が生まれて信頼を得ることはできます。

もちろん親からの期待というのは度外視すべきだし、悪い結果への信頼(〜は料理や運動が下手など)も起こるだろうけど、それは個人差はあれ、こうあってほしいと思う人それぞれの問題です。

以上から親からの信頼を裏切ってこなかったというよりは、選択において度外視すべきてある、親からの期待を裏切ってこなかっただけというのがわかります。信頼を得ている、得ていないは自分自身の選択の結果によって初めて考えるべきことです。
期待と信頼は、応える方法が似ているだけで中身は全然違います。

もう解っているかもしれませんが、
あなたは期待を裏切らないという行動において、実績、結果を、あなたの親に沢山残してしまっていたという事実になります。
そのため、無意識的に、、
期待を裏切らない、という信頼を持たれてしまっているのかもしれないです。
これが、持ち物のように感じてしまう原因だと思います。期待通りになる信頼があるので。

わたしは別の信頼が沢山あるところを見て、この古畑任三郎の名言がぴったりだと思いました!
伝えるとからくりが解るので黙っていましたが!そろそろ独り立ちの時期だし!

しかしわたしは!あなたの可能性を引き出し、自分自身でする選択の幅を広げたいと思っていまーす!



まぁけど皮肉にも期待に応えない人ほど、自分自身でした選択に対する信頼が大きくなることが多いね
どうせ言っても無駄という実績を重ねてきた訳だから、期待に応えることに対しての信頼が無い分、何かしら勝手にやった時に上手く出来ると、その分野に関しての信頼は厚くなる、もちろんこれは相対的に厚いだけで、錯覚です。

ちなみに追記したのは、私は以上のロジックを理解しているので、あなたのしてきたことはしっかりと評価しています!ということです!すごいと思いまーす

もちろん期待に応えない人のほぼ全員は能力が年々低くなります。怠けてるのと同じなので。
期待に応えてきた人は内容に対する向き不向きはあれど期待に応え続けるために必要であった、忍耐力、論理的思考力、記憶力が高くなり、それの力は現代社会で上手く使いこなせると非常に有利なツールになり得ます。もちろん始めは使い方がわからないかもしれないですが、自分で選択をするとき、やりたいことができた時に有利に傾くことは間違いないですよ!



古畑さんにはいつも助けられています

今度からそういう現象はエスプレッソ効果って呼ぼうそうしよう



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