ぶりぶりてり

2015/09/21 23:05
こんばんは
ねるまでのひつまぶ…ひまつぶし。

私は広義に言って善人とまでは言わないが悪人ではない、一応、と思う。
積極的に他人に危害を加えようとかいうあれはないし。

さっき最初、私は善人ぶっているんだろうか、と思ったけれどそれは何だか語弊があるような気がした。
次に、いい子ぶっているんだろうか、と思ったが、これもいい子ぶると言う単語が既にある程度決まった方向で使われすぎて違う気がした。
その後いい子というフレーズで思い出したのがいい子症候群。長女がなりやすいとよく言われているというか長女あるあるの鉄板? これが一番自分がふと思ったことに近いと思った。

いい子ぶるといいこ症候群何が違うねん!という声も聞こえる気がする これは私的見解だけども、打算が含まれるか含まれないかの違いのように思う。
なにも私は打算的ではないというディフェンスのつもりではないが、いいこ症候群は自然とそうしようという思考になってしまうもの(一種強迫観念のようなもの?)で、いい子ぶるは意図的というかもっと計算の上で成り立っているように感じる

いい子以外のワードを使うなら、物分りのいい子でいたい、とか聞き分けのいい子でいたいとか。それは自然とそうしたいと思ってやっているはずなのになぜかだんだんと自分の心やら気持ちから乖離していくもので。というかあとから乖離していたであろうことに気がつくわけだけど
一度目の時はもうそれに気づくのも遅すぎて気づいたもののもうかなり遠く手繰り寄せることも困難な感じだった そのせいか今でも自分の気持ちそのものとか、その扱い方がよくわからないことがままある そんなのみんなによくあることかもしれないけども。

それは今でももしかして対象と程度は変わって続いているのかもしれない、とふと思った 理性は常に一般論へと私を誘導し、心を無視して世間一般から見て褒められる(までいかなくとも好感を持たれる)ような姿に持っていこうとする
とはいえさすがに一度失敗しているから定期的に気持ちが理性に優って外に出ることがある 相手には多大な迷惑であろうが(申し訳ない)しかし一度目を考えるとかなりの成長(?)である。もっと穏便に両方を尊重して調節出来たらいいんだろうけどそこまではなかなか一筋縄では行かない様子

さてそれを成長と呼ぶのかどうかという話だが、気持ちあっての人間と私は思っているので(性能だけならロボットでいい)冒頭でいったように広義の悪人ではないことを前提として心がある程度出てくることは大事と考えている。
それこそ万人受けする対応だけならロボットでいいわけだし、同じ場面でいろいろみんな違うことを思うからにはそれはある程度その人のアイデンティティにも関わっていると思う だからこそ大事な人の気持ちがあまり見えないとかわからないと複雑な気分になるし少しでも垣間見えると嬉しく思うのではないか、な。

それからこれはまた全く関係ない、
しかし今の私にとっては大きなことだけど
このタイミングでむずむず足になってすごくすごく厳しい。ぬいいいいいい
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悪い子のほうがいいね!!



Re:

さすがにそれはどうかな!!



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